パクリは創作の原点!? 巨匠漫画家たちの『パクリ』のテクニック
ネット時代が到来してからというもの創作の世界ではパクリ騒動が絶えません。漫画界の巨匠の言葉の中に創作においてのパクリに対する考え方についてのヒントをみつけたのでご紹介します。
藤子・F・不二雄の「いただきのすすめ」
世界中で知らない人はいない「ドラえもん」を生み出した藤子・F・不二雄。藤子先生の創作についての言葉を集めた本の中に「いただきのすすめ」という文章がありました。
「いただき」というものは、なんの手がかりもなく無からアイディアを創り出すのではなく、過去に見た映画やまんが、あるいは読んだ小説でも、何か感銘を受けたものがあれば、それを自分の作品世界に再現することです。
そのまま使ってしまうのは「盗作」であって「創作」ではありません。
考えてみますと、この世の中、本当に新しいまったく無から創りだす創作というものはなく、過去の作品になんらかの影響を受けずにはいられないのではないか、という思いがしてきます。
手塚治虫の「漫画の描き方」
漫画の神様・手塚治虫の名著「マンガの描き方―似顔絵から長編まで」の中にも気になった記述があったので書き出してみました。
手塚先生はこの本の中で「借り物」をすすめています。
ちなみにこの本はボクが漫画家を目指していた高校生の頃、学校帰りに古本屋で買ったもので初版は昭和52年。現在は文庫サイズの新装版が出ています。
物語は、はじめのうちは借り物でもいいからつくってしまうこと。その借り物に、職場や学校で聞いた世間話や自分で感じたことで色づけする。
そうすると、たとえ真似したものでも奇妙に物語が新しくなってくる。
これはイミテーション(にせもの)ではないのだ。たしかにもとの話を脚色したものだが、そこに自分で考えたプラスの要素がちゃんと加わっているからだ。
パクリは創作の原点だ!
ボクはパクリはすべての創作の原点だと思っています。
世間では創作活動というものを神聖視する傾向があるようです。新たなアイデアを求めて芸術家が部屋でひとり思い悩む姿…多くの人はそんな光景を想像してしまいがち。
現実の世界の創作の現場というものはもっと俗っぽいものなのかもしれません。
少なくとも日本の漫画の世界ではさまざまな作品からパクったりパクられたりしながら今も新しい創作が生まれ淘汰され続けているのです。